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2009年6月 5日 (金)

奥多摩湖へ。

6月2日。廃墟好き、廃墟マニアには有名な『小河内観光株式会社奥多摩湖ロープウェイ』の索道が残る…。というか索道だけではなく、駅舎、ゴンドラもそのまま残る『廃墟』。
昭和37年から、たった4年間だけ稼動していたロープウェイである。

まずは旧奥多摩湖周遊有料道路(言ってみれば、これも廃墟)の料金所を越えたところにある駐車場へ。
この駐車場に、既に索道跡と言える支柱が聳える。

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ここは、周遊道路に集まるバイク乗り達のスタート地点であり、バイク乗りたちが親交を深める場所。何よりここから『三頭山口駅』駅舎が、木々の隙間を縫ってその姿を覗かせる。
この駐車場に車を停めて、道路を隔てた所にある山道を登る。
法面と同じ高さまでは、この古びた階段があるのだが、

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そこから先はいわゆる『獣道』『山道』こんなに険しいとは思っていなかったので、少し後悔…何と言ってもポロシャツ、ジーンズ、スニーカーである。この日は軍手すら持ってこなかったので、素手でその辺の樹木を掴む…小学校以来。

ここで一つ、獣道を掻き分けながら疑問。何でこんなところにロープウェイが???ということ。
当時の人はこの駅までどうやって来たの?もしくは駅からどうやって下りたの?てゆーか、下りても有料道路のエリア内…そもそも、どういう役割だったの?このロープウェイ…。
ただ、上まで来て戻るだけじゃないか…。
ということで一つの仮説。この駅舎の後ろに聳える標高1540mの三頭山の頂上近くまで、いずれは延ばすつもりだったんじゃないかな?

蜘蛛の巣を何個も壊しながら、たどり着いた駅舎。

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ネットや書籍で何度も見たこの写真。目の前にあるものは紛れもなく本物で、自分もこの地を訪れたという実感。
絡まる緑と、色褪せたゴンドラと、風化し続けるアイボリーだったり青みがかっていたり、元の色がちょっと想像付かない駅舎の外壁。これらの色彩は操業開始時からの50年の時を経た証。

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営業している時から、営業停止後、有名な廃墟スポットとなってからの物も含めた、50年に及ぶ歴史と思い出を閉じ込めた色。
おそらく元は青かったであろうプーリーも、緑色に経年変色した部分や、錆びて褐色になってしまった部分もある。

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駅舎屋上は展望台となっているのだが、これがまた山と同化している。どこまでが駅舎屋上で、どこからが山肌なのかパッと見気付かない。

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もう一つ、対岸の駅舎『かわの駅』を目指すべく下山。
靴底が平坦なスニーカーなため、滑ってしょうがない。なんとなーく後ろを気にしたら…

滑 落 し た 。

ケツっていうか腰の辺りを打った。体勢をすぐに立て直したつもりだったが、だいたい50cmぐらいは滑ったようだ。
やはり廃墟探索はもちろんのこと、ちょっとした登山だったり繁みの中を歩く際には底が厚めで凹凸のある靴にしたい。

ちなみに下山の際、男性2人組の廃墟マニアとすれ違う
『こんにちはー』
と声をかける辺りは登山家のよう(笑)

対岸の『かわの駅』

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こちらは写真集の撮影にも使用されたりするのだそうだ。そのせいなのか椅子がちょっと格好つけて置かれていたりした。

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この『かわの駅』だが、もうちょっと簡単な辿り着き方があるのだろうが、なぜか自分は駅舎の隣りにあるテニスコート、ゲートボール場を囲むフェンス沿いに、幅が40cmあるかないかの法面の上(しかも下は墓苑)を綱渡り状態で渡った。

そして、この奥多摩湖ロープウェイのメインは、こちらの『かわの駅』らしく、駅舎内は『みとうさんぐち駅』よりも大きな施設があった。

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僕は思うのだ。

『営業再開』という名目なので、撤去、取り壊しがされることもなく、ぶら下がったままのゴンドラ『みとう』『くもとり』。

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彼らは何を思って40年以上もぶら下がっているのだろうか?いつ動けるのか?このままでいいのか?同じく50年の間、張られたままの索道を今すぐにでも滑り出したいんじゃないのか?…『いつでも動けるよ』とでも言わんばかりにぶら下がる彼らは、僕が乗り込むと少しぐらぐらと揺れて見せてくれた。
織姫と彦星だって年に一度は会えるのに、彼らはこの40年一度もすれ違うことなく600m離れた対岸で、お互いの姿をじっと見据えている。

支柱や索道の老朽化による倒壊が懸念され、奥多摩町と東京都で何度か話し合いはもたれているようだが、小河内観光株式会社はもちろん、その経営者ですら消息不明。残されたのは駅舎と『みとう』『くもとり』…そして、営業当時に彼らに乗って笑顔を見せたであろう40年前の子供達、家族達、恋人達の記憶。
二台のゴンドラは、そんな営業当時の思い出をたくさん憶えているのだろう。そして、この場所を訪れた何人もの廃墟マニアのことも、今日ここを訪れた僕らのことも忘れずにいてくれるのだろう。

冒頭で述べたように、たった600mの距離、片方の駅は急傾斜の山肌にある。その辺のことは素人な僕でも、このロープウェイは限りなく失敗に近かったことはわかる。だけど、あまり、そんな『大人視点』で見ては可哀相な二台のゴンドラ。

昭和37年。昭和25年生まれの僕の父親が12歳の頃。つまりは僕が生まれた頃は立派な廃墟だったこの場所。

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自分が小さな頃に遊んだ遊園地は今もあるのだろうか?
何だか少し寂しかったり、哀しかったりしながら、奥多摩湖ロープウェイを後にした。

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